2008年10月13日月曜日

10/13 Today 日蓮忌

日蓮が死んだ日:
日蓮 - Wikipedia: "日蓮(にちれん)(1222年3月30日(貞応元年2月16日)) - (1282年11月21日(弘安5年10月13日))は、鎌倉時代の仏教の僧。法華経の題目を重んじる諸宗派が宗祖とする。死後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈された。"


日蓮 - Wikipedia: "1260年(文応元年)8月27日に立正安国論を著わし、前執権で幕府最高実力者の北条時頼に送る。この書は、地震・洪水・飢饉・疫病などの災害が起こる原因は、民衆や幕府が主に法然の念仏をはじめとする邪法を信仰することにあるとし、仏教経典を根拠に、正法たる法華経を立てなければ自界叛逆難、他国侵逼難などの災いが起こると説かれている。安国論が建白されて40日後、批判に恨みを持っていた他宗の僧ら数千人により、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされるも難を逃れる。その後、ふたたび布教をおこなう。"

鎌倉時代とは面白い時代。なんか今の中東の宗教紛争みたい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

さすがは散人さんですね、鎌倉時代の宗教図絵を現代の中東の宗教紛争になぞらえるとは。私は小学校4年ぐらいのとき、自分には数学と歴史に対するセンスがまったく欠如していることを強く意識するようになりました。

さて日蓮ですが、その中に「日蓮宗不受不施派」というのがあります。文字通り、「施しを受けない、施しを行わない」というセクトで江戸時代には幕府からずいぶん迫害されたそうです。隠れて信仰すること(人)を内信(ないしん)といい、近所に「内信墓」という墓地が古くからあります。隠れキリシタン扱いです。

妹尾(岡山市)という町は「妹尾千軒皆法華宗」と町の歌にも歌われているのですが、それは不受不施派の人々を4kmほど離れた川沿いの低湿地に追い出したためです。迫害を受けた人々が作った集落名は「妹尾崎」。
日本のベジタリアン的文化の中にも「出エジプト記」のようなビフテキ文化があったのだなあと思います。

永井荷風が太平洋戦争中、岡山に滞在し桃園の主を訪ねていった場所がまさにその妹尾崎です。

Unknown さんのコメント...

小生は宗教に対するセンスが欠如しており宗教対立というのはどうもよくわからないですが、人為的な「ナショナリズム」対立よりはより自然な感情かも知れないですね。